世界トップ学生を採用できるだけの給与を用意できないから、(世界トップ学生の)採用はできない
海外のトップ学生は皆学生ローンを借りていて、その返済に追われているのだから、わざわざ給与が低い日本に来て働こうとは思わないだろう
世界トップ学生採用というトピックに対する懸念として、日本企業の採用担当者や決裁者から頻繁に挙がる主張が以上のようなものです。特に近年アメリカの大学の学費は高騰しており、アメリカ全体で見れば多くの学生がローンを借りて大学に通っていることは事実です。しかしながらアメリカのトップ大学に着目していくと、そうした主張は必ずしも正ではありません。
当記事では、特にアメリカの大学およびトップ大学における学生ローンの現状や学費トレンドおよびアメリカのトップ学生の卒業後の初年俸の実態を分析した上で、上記の主張の正誤について考察した後、世界トップ学生を日本企業に惹きつける上で重視すべき点や方策について記載していきます。
アメリカにおける大学(学部)の学生ローン借入の現状
まずは過去5年間におけるアメリカ国内における学生ローン借入金額総額および私立大学・公立大学(4年制)の学費の推移を以下に記載いたします。
図1:アメリカ国内における大学学費ローン借入金額総額および私立大学・公立大学(4年制)の学費平均推移(2018~2023)*1
図2:図1数値のインデックス(2018年の値=1)(2018~2023)*1
上記のグラフを見ると、直近5年において大学学費ローンと大学の学費は類似のトレンドを辿っており、各学費とローン合計の相関係数も全て0.9を超えていることから、大学学費の高まりによって学費ローンの合計額も増えているということが分かります*2。
一方で、私立大学の学費インデックスは、大学学費ローンのインデックスをアウトパフォームしています。特に世界トップ大学として知られる大学の多く(ハーバード大学やスタンフォード大学など)はこの私立大学のカテゴリーに属するため、このアウトパフォームの要因を考察していくことで、より世界トップ大学の学生におけるファイナンス事情や、冒頭で述べた言説背景の理解が可能となります。
次項では、そうした世界トップ大学におけるファイナンス事情を考察します 。
アメリカのトップ学生が支払う学費および学生ローン借入事情
以下にアメリカ国内の主要トップ大学学部生の直近のデット・フリー割合(卒業時に学生ローンの債務残高が0)データおよび2018年度を1とした時の2023年度の年間学費合計インデックスを記載します。
*アメリカ国内の主要トップ大学=US News Ranking - Best National University RankingsのTop5*3と仮定(プリンストン大学・MIT・ハーバード大学・スタンフォード大学・イエール大学)。なお当5大学は全て非営利私立大学。
図3:2018年度を1とした時の2023年度の年間学費合計インデックス*4およびアメリカ国内の主要トップ大学学部生のデット・フリー割合*5
大学名 | 2018年度を1とした時の2023年度の学費合計インデックス | 学部生のデット・フリー割合 |
プリンストン大学 | 1.18 | 83% |
MIT | 1.23 | 86% |
ハーバード大学 | 1.17 | 88% |
スタンフォード大学 | 1.23 | 86% |
イエール大学 | 1.21 | 84% |
まずアメリカ国内のトップ大学の2023年度の学費インデックスは、2018年度と比べて20%程度増加しており、これは私立大学全体の学費インデックスの伸びを上回っていることが分かります。すなわち私立大学の学費高騰の先棒を担いでいるのはこれらトップ大学であることが分かります。
次に、学部生のデットフリー割合を見ていきます。入学時の学生ローン割合=卒業時の学生ローン割合と仮定した上で(在学中に入学時のローン分を稼いで返済するケースもありますが、基本的にはそうしたケースはまれである可能性が高く、卒業後の返済が主流)、National Center for Education Statisticsが発表した2021-2022年の私立大学(非営利・4年制)学部生のローン取得割合が51.8%であった*6ことを鑑みると、学費高騰の先棒を担ぐトップ大学の学生のデット・フリー割合の高さが際立ちます。 すなわち、記事冒頭で記載した主張の通り、トップ大学の学費は高騰していることは事実であり非常に高価なものとなっておりますが、私立大学に通う学生のローン残高自体は、トップ大学以外から起因している可能性が高いということが分かります。実際、2年制の非営利大学の2021-2022年におけるローン取得割合が66.7%であったことも当主張を裏付けます(一般的なランキングにおけるアメリカのトップ大学の殆どが4年制である)。 この背景として、トップ大学の入学に対しては多くの返済不要型奨学金が大学自体から支給される他、正規留学生に対しても各国の官民団体から支給されているケースが多いことが挙げられます。
また、私立大学の学生ローン総額が公立と比べて高くなっている他の理由として挙げられるのが、営利私立大学の存在です。National Center for Education Statisticsが発表したデータによれば、私立営利大学(4年制)の学生ローン割合は実に68.7%(2年制においては71.1%、私立営利大学全体でみると70.3%)であり、私立非営利大学・4年制の51.8%や公立大学・4年制の37.7%、全体平均の38.6%と比較すると、非常に高い数値となっていることが分かります*7。
更にハーバード大学ケネディスクール教授のデイビット・デミングの研究によれば、営利私立大学に通う学生の自己破産割合も他と比べて非常に高いことが分かっており*8、私立営利大学の学生ローン債務学生は金銭的に非常に厳しい立場に置かれています。
図4:全体・公立大学(4年制・2年制)・私立大学(4年制・2年制)の学生ローン債務割合(2021-2022年)*9
アメリカトップ大学の学生の初年俸事情
最後に、実際トップ大学の学生の初年俸の実情について、ハーバード大学の学部卒業生の初年俸データを俎上に載せながら考察していきます。以下がハーバード大学Class of 2023の学部生の中で、卒業後に就労すると回答した学生の中での初年俸分布です。
図5: Class of 2023の学生の中で、卒業後に就労すると回答した学生の中での初任給分布 *10
上記円グラフをみて分かる通り、実に60%超が初年俸で1,000万円($1=150円換算)を超えている一方で、実は残りの40%弱は初年俸で1,000万円に届いておらず、全体の16.7%は初年俸750万円未満であり、日本企業の初任給水準と同等の企業に就職していることになります。因みに2024年8月時点での一人当たりの生活費(1ベッドルームのアパートメントの家賃平均を含む)は、東京が$2,124.73なのに対し、ニューヨークは$5,836.78であり、実に3倍近くの開きが存在します。当物価乖離比を鑑みれば、上記初年俸の実質的数値はもう少し下がります。仮に保守的に物価比を見積もって当諸年俸の数値を当物価比に則って÷2換算すれば、実に半数弱~以上のハーバード生の就職企業は日本企業の初年度水準と同等ということになります(勿論、ハーバード卒業生が全員ニューヨークに就職するわけではないため、あくまで参考論とする必要があることに留意)。
すなわち、勿論給与の高さは優秀な学生を惹きつける上で重要なのは間違いありませんが、それは必要十分条件ではないため、「日本は給与が低いから世界トップ学生から就労先として選ばれない」と断定するのは間違いであることが分かります。
世界トップ学生を惹きつけるには?
まず日本全体としてやるべきことは、日本での就労に対するイメージの抜本的な刷新であると考えております。事実、日本での就労に関するお話を世界トップ学生に対して行う際に、学生側から頻繁に上がってくるコメントは以下のようなものです。
日本では残業が多く、それによって死んでしまう人が多いと聞いている
日本ではパワハラやセクハラが多いイメージが強い
事実、RedditなどのSNSユーザーやBBCなどの海外大手メディアから*11、お酒で酔ったサラリーマンが駅や電車で寝ている写真が「過労死」の象徴として掲載されているケースまであります。しかし実際は単純にお酒で酔ったサラリーマンが寝ているだけで、死んでいるわけでもありません。ですが、そうしたイメージが海外のメディアやSNSで流布されており、こうしたイメージが基となって、日本での就労を反射的に忌避する世界トップ学生が多い状態となっております。こうしたイメージを変える努力を国が一丸となってしない限り、"世界トップ学生からの人気就労先「日本」"を目指すのは難しいでしょう。
しかしながら、こうした日本の中でワークライフバランスを整えている企業は、健全な就労環境を保持していることを世界トップ学生に対して積極的にアピールすることで、"日本で働きたいが就労環境に恐怖を感じている世界トップ学生層"に対して効果的なアプローチすることが可能となります。
またワークライフバランス以外の観点でも、日本でのインターンシップの充実化や日本語要件の緩和、バディ制度の導入、ジョブローテーション制度の導入などが世界トップ学生を惹きつける施策として挙げられます。当施策の詳細については、別記事で言及しているので、そちらをご参照ください(「世界トップ学生の就職活動2024 - 日本企業が世界の新卒採用競争を制するためのガイドライン(後編)」)。
まとめ
以上の背景より、「世界トップ学生は皆学費ローンの返済に追われているから、給与の低い日本を就労先として選ばない」という主張は正しくないということが分かります。逆に言えば、世界トップ学生採用に向けた施策を充実させ、「日本」という非金銭的な魅力を沢山持ったアセットを最大限活用することで、世界的に見て相対的に給与が低い日本の企業でも、世界トップ学生の採用が十分可能となります。
世界トップ学生の採用に注力し、グローバルで事業を更に成長させていきたい企業の採用担当者様は、是非弊社までご連絡いただければ幸いです(URL:https://forms.gle/yTT5Ar8kPH5s3jwYA)。
(執筆・編集:Jelper Club編集チーム)
出典・注釈
1. "Financial Stability Report" (Board of Governors of the Federal Reserve System): https://www.federalreserve.gov/publications/financial-stability-report.htm ; "A Look at 20 Years of Tuition Costs at National Universities" (US News): https://www.usnews.com/education/best-colleges/paying-for-college/articles/see-20-years-of-tuition-growth-at-national-universities ; ローンはFederal LoanおよびPrivate Loanを含む
2. 大学学費ローン合計と私立大学の相関係数=0.924、公立大学(州内)=0.943、公立大学(州外)=0.945
3. "Best National University Rankings" (US News): https://www.usnews.com/best-colleges/rankings/national-universities
4・7・9. "Average undergraduate tuition, fees, room, and board charges for full-time students in degree-granting postsecondary institutions, by control and level of institution and state: Academic years 2021-22 and 2022-23" (National Center for Education Statistics): https://nces.ed.gov/programs/digest/current_tables.asp
5. "Affordable For All" (Princeton University): https://www.princeton.edu/admission-aid/affordable-all ; "The Graduating Class of 2024 by the numbers" (The Harvard Crimson): https://college.harvard.edu/financial-aid ; "Undergraduate families under $100,000 income to pay no tuition, room, or board at Stanford beginning in 2023-24" (Stanford Report); "Return on investment" (MIT Student Financial Services): https://sfs.mit.edu/undergraduate-students/the-cost-of-attendance/return-on-investment/ ; "Financial Aid" (Yale College Undergraduate Admissions): https://admissions.yale.edu/financial-aid-can-be-deleted
6. "Meeting College Costs in 2018-2019" (Princeton University): https://pr.princeton.edu/aid/pdf/1819/PU-meeting-costs.pdf; "Fees & Payment Options" (Princeton University): https://admission.princeton.edu/cost-aid/fees-payment-options; "Undergraduate Tuition & Fees" (Harvard University Office of Institutional Research and Analytics): https://oira.harvard.edu/factbook/fact-book-ug-tuition/"; "Cost of attendance" (MIT Student Financial Services): https://sfs.mit.edu/undergraduate-students/the-cost-of-attendance/annual-student-budget/; "Undergraduate financial aid boosted for 2018-19" (MIT News):https://news.mit.edu/2018/undergraduate-financial-aid-boosted-2018-19-0221; "The Student Budget" (Stanford): https://financialaid.stanford.edu/undergrad/budget/index.html; "Trustees set 2018-19 tuition and reaffirm strong financial aid program (Stanford Report): https://news.stanford.edu/stories/2018/02/trustees-set-2018-19-tuition; "Financial Aid" (Yale University): https://finaid.yale.edu/costs-affordability/costs; "Yale College term bill for 2018-2019 set at $69,430" (YaleNews): https://news.yale.edu/2018/03/16/yale-college-term-bill-2018-2019-set-69430 ; "Cost & Aid" (Princeton University Undergraduate Admission): https://admission.princeton.edu/cost-aid ; "MIT announces financial aid and tuition rates for the 2023–24 academic year" (MIT News): https://news.mit.edu/2023/mit-financial-aid-tuition-rates-2023-24-academic-year-0317 ; "Stanford raises undergraduate tuition by 7%" (The Stanford Daily): https://stanforddaily.com/2023/02/12/university-raises-undergraduate-tuition-by-7/ ; "Tuition hikes continue to outpace inflation, admin say financial aid rising concurrently" (Yale Daily News): https://yaledailynews.com/blog/2024/03/01/tuition-hikes-continue-to-outpace-inflation-admin-say-financial-aid-rising-concurrently/ ; 学費=大学の授業参加に1年間で発生するコスト合計(学費以外にも寮費や食費、教材費などを含む)
8. "The For-Profit Postsecondary School Sector: Nimble Critters or Agile Predators?" (David J. Deming): https://www.aeaweb.org/articles?id=10.1257/jep.26.1.139
10. "The Graduating Class of 2023 by the numbers" (The Harvard Crimson): https://features.thecrimson.com/2023/senior-survey/after-harvard/
11. "The culture of overwork can be so intense in Japan that businessmen, called "salarymen", have even died from overworking. The karoshi phenomenon, the term used to describe overwork-related deaths, dates back to the 50's. Pawel Jaszczuk captured these images of exhausted "salarymen" sleeping in Tokyo" (Reddit): https://www.reddit.com/r/Damnthatsinteresting/comments/tnjzxz/the_culture_of_overwork_can_be_so_intense_in/ ; "How the Japanese are putting an end to extreme work weeks" (BBC): https://www.bbc.com/worklife/article/20200114-how-the-japanese-are-putting-an-end-to-death-from-overwork
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